地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン

「福島と戦争」~模擬原爆(パンプキン)投下⑩

 7月29日の空襲の記録部分を、「郡山市史10巻(資料下)」で確認してきた。
 先に「『福島と戦争』~模擬原爆(パンプキン)投下⑥」で記録した内容と相違はなかった。
 また、郡山第三工場にかかわる「7月29日の空襲、整理された情報では、駅前周辺、日東紡績富久山工場、中島航空機会社付近に空爆を受けた」という情報の拠り所も確認できた。「郡山の歴史(郡山市昭和59.11月発行)」と思われる。
 その内容を確認すると、中島航空機会社には、現パラマウント工場という注が入っていた。
 したがって、「郡山市史10巻(資料下)」で確認した「警備当番日誌」の「第三工場」が、当時の地域の方々の意識では「日東紡第三工場」であり、それが、実際には「中島航空機会社」の仕事をしていたとう推定の確からしさは高そうだということが分かった。
 ただ、「郡山の歴史(郡山市昭和59.11月発行)」では、日東紡富久山工場の空爆の情報も記録するのだが、この情報と結びつく情報が見つからない。曖昧なままだ。少なくとも模擬原爆(パンプキン)とのかかわりは低いと思われる。かかわるとすれば、二次的な爆風被害だろうか。それとも、別に空爆被害があったのだろうか。これも考えにくい。第509混成軍団司令部は、別部隊で連携はなさそうだが、それでも考えにくい。

 さて、任務№1の7月20日の模擬原爆(パンプキン)投下は、東京中心部(北緯35°50′―東経139°46′)であり、第二目標として平「北緯37°04′―東経140°54′」であり、北茨城市の大津だ。しかし、その投下目標は郡山の工場だった。この日の郡山の状況を確認したかった。市史の中の「郡山市中町警報当番日誌」には、この日の郡山も記録されている。
 7時30分警戒警報発令。東海岸より北進中の敵機は中部に進みつつあり。敵機は、郡山付近を北進中なり
 8時 山形県警戒警報発令、新潟地区に北進中の敵機は、山形県の北部に進みつつあり。新たなるB29ニ機は鹿島灘より進入、海岸線に沿い郡山に投弾することなく、新潟洋上に北進中なり。郡山に被害なし。警戒警報解除。

 7月20日の模擬原爆(パンプキン)投下情報と組み合わせて想像してみる。
 「7時30分警戒警報発令。東海岸より北進中の敵機は中部に進みつつあり。敵機は、郡山付近を北進中なり」が、任務№3の攻撃した目標長岡の工場の2機の動きではないだろうか。その内の主として記録されている8時に山形県が警戒警報発令することになった新潟地区に北進中で山形県の北部に進みつつあった敵機が、長岡の津上安宅製作所に模擬原爆(パンプキン)を投下した機ではないかと思う。時間的な順序は逆の可能性もある。長岡の津上安宅製作所に模擬原爆(パンプキン)投下が、7時55分だ。それで、8時に山形県警戒警報発令とも考えられそうだ。
 この陰に、東海岸の平に模擬原爆(パンプキン)を投下したB29があるはずだと思う。

 8時に新たなるB29ニ機は鹿島灘より進入してきたのが、任務№1の攻撃した目標郡山の工場の3機だろうか。
 海岸線に沿い郡山に投弾することなく、新潟洋上に北進して、郡山が警戒警報解除した後に、大津、東京、平に模擬原爆(パンプキン)を投下したのではないだろうか。
 ここは、まだ想像を膨らませているという段階で確からしさは弱い。
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by shingen1948 | 2010-09-29 05:24 | ◎ 福島と戦争 | Comments(0)