地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン

「福島と戦争」~模擬原爆(パンプキン)投下⑨

 実際に模擬原爆(パンプキン)が郡山に投下されたことと、その被害についての情報を結び付けて整理してきた。
 この他に、郡山と模擬原爆(パンプキン)投下のかかわりは、本当は郡山に投下する予定だったが、実際には別のところに投下されたというのもあるようだ。
 それが、1945年7月20日任務№1だ。攻撃した目標は郡山の工場で、3機飛び立っている。
 目標までの往路は6/10の低い雲、全ての目標上空に3層の雲が存在し、全ての爆撃航程がレーダーで行われたとある。天候の関係で、第二目標に投下したという経緯のようだ。
 このうちの、ネットの中で華やかな情報は、301号機の東京中心部(北緯35°50′―東経139°46′)投下だろうか。
 これが、皇居に向けて投下したということだ。実際には、目標が外れて呉服橋と八重洲橋中間の堀に着弾したということだ。死者1名、けがをした人62~3人といわれているらしい。ここまでは、目撃情報とのかかわりだろうか。
 情報は続く。ただ以下は、確認された情報かどうかは分からない。
 この機が、B-29「ストレートフラッシュ」で、陸軍航空隊のエリートパイロット「クロード・イーザリー」が機長だったとのことだ。この機は、広島への原子爆弾搭載機に指定されていたらしいが、この独断行為を命令違反として任務を外され、気象観測機として「エノラ・ゲイ」に随伴する事になったと言われているとのことだ。

 投下した側の記録では、他に福島県の平と北茨城市の大津にも投下されているが、この着弾情報は曖昧なようだ。
 最近、この時の大津(北緯36°50′―東経140°47′)に投下されたはずの着弾の目撃情報を求める新聞記事を見た。
 「県内の原爆投下訓練、見てませんか 研究者ら情報求める『朝日新聞(2010年7月20日)』」
 戦争遺跡の調査を手がけてきた筑波大大学院の伊藤純郎教授が「もう一つの原爆被害が茨城にもあったことを知ってほしい」と、情報提供を呼びかけたものだ。北茨城市史などの史料には全く記載がなく、大津町で投下訓練があったことが記録として残っていないという。
 そこでは、この模擬原爆(パンプキン)投下について次のように説明されていた。
 当初の目標は、原爆投下対象だった新潟を想定し、福島県郡山市の工場だった。B29は7月20日朝、郡山を目指したが、当日の天候が悪く、投下地を大津町に変更した。文書によると午前7時55分、大津町付近に投弾したとの記録がある。

 調査依頼を受けた地元の郷土史家、丹賢一さんは、
 「4.5トンという爆弾の威力であれば、山中に落ちても爆風や残った穴でわかると思う。誤って海中に投下してしまったのではないか」との推測もあるとしているようだ。大津町は風船爆弾にも利用されたジェット気流が上空を通り、爆弾投下の際に誤差が生じうるとのこと。

 伊藤教授は、この調査の意義を「大津町での投下訓練は地域の歴史から忘れ去られている。原爆投下の帰結点は広島、長崎だが、投下に向けたプロセスに目を向け、訓練があったことを歴史に位置づけなければ、全体像が見えてこない」としている。
 その記事の中、「大津町以外の投下地は、実態の解明が進んでいるところが多い」とあるが、本県の平に投下された模擬原爆(パンプキン)の着弾情報も同じような状況のような気がする。
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by shingen1948 | 2010-09-28 05:16 | ◎ 福島と戦争 | Comments(0)