地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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「福島と戦争」~模擬原爆(パンプキン)投下⑥

 4回の郡山空襲の情報の中から、7月29日にかかわる情報を検索で抜き出してみる。そのことで、模擬原爆(パンプキン)を投下された側の状況が見えてくるはずだと思う。

 7月29日の空襲、整理された情報の多くでは、駅前周辺、日東紡績富久山工場、中島航空機会社付近に空爆を受けたとある。
 これを先の任務報告書と照らし合わせると、少しずれているように感じる。模擬原爆(パンプキン)は、駅前周辺と郡山軽工場の2か所に着弾したはずなのだ。
 情報が一致するのは、駅前周辺ということだ。残りの日東紡績富久山工場と中島航空機会社付近というのが、郡山軽工場に着弾という情報と重ならなければならないはずだと思う。
 具体的には、この郡山軽工場は、「市の中心から西におおよそ1500mの地点にあった福島製作所の1/5の大きさの第3工場」のはず。これが、「日東紡績富久山工場と中島航空機会社付近」の情報とどうかかわるかというこだ。

 ここからは、勝手な想像だ。
 まず、富久山工場それ自体が空襲を受けたということではないのではないかと思う。また、中島航空機会社というのは、この時点では日東紡績なのではないかと思うのだ。それは、福島の場合、日東紡績半地下工場が中島航空機会社だったという。同系列の日東紡績の郡山でも同じ事情と考えても、それほどの見当違いでもないと思っている。
 つまり、市街地から西1500mの第3工場は、日東紡績の工場であり、中島航空機会社でもあるととすれば、情報が重なるのではないかと想像する。

 今のところまた聞きのままで確認していないが、7月29日の空襲について、市史には次のような記録があるという。
 <○ 昭和20年7月29日天気晴 >
  午前8時30分、警戒警報発令。
  B29機高度6千mにて福島県西北進し、反転して南進、郡山上空にて旋回
  9時30分、郡山駅へ爆弾投下、駅内破損し、死傷者多数なり。
  同11時40分、第3工場付近に爆弾投下したるも被害軽微なりしと・・
  同10時半警戒警報解除す。(記載者・鴫原専次郎)
  郡山中町第1隣組「警報当番日誌」から

 この中の、午前8時30分警戒警報発令後、「B29機高度6千mにて福島県西北進し、反転して南進、郡山上空にて旋回」したのは、最終報告書と照らし合わせると、3機のはず。
 そのうちの一機が「9時30分に郡山駅へ模擬原爆投下」、別の1機が「11時40分、第3工場付近に爆弾投下」する。これが郡山軽工場のはず。
 そして、ここにはないが、別のもう1機は南進を続け、東京方面へ向かったと思われる。
 この機が、第二目標の東京都保谷市の中島飛行機発動機工場発祥地へ爆弾を投下する。これが少し外れて、柳沢1丁目に着弾するらしい。このアメリカ側の評価は、爆撃の結果は貧弱。それでも、死者3人、負傷者8人が記録されている。
 これに比べ、第3工場投下へのアメリカ側評価は、最終報告書で優秀とされる。それが「被害軽微なり」という情報は、少し怪しいと思う。
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Commented by TUKA at 2010-09-26 17:48 x
「第3工場」と言うのが日東紡の第3工場のことであるとすれば、
それは長者にある現・パラマウント硝子になります。
大正8 郡山紡績として建設
大正13 名古屋紡績郡山工場に
昭和12 日東紡と合併し、その第3工場に

以前、郡山の工業史を調べた際に作成した図がありましたので貼ってみます。
明治~大正の頃を示し第3工場も枠外ですが、ご参考にでもなればと思います。
http://wing2.jp/~kaido/70.gif
Commented by shingen1948 at 2010-09-27 06:10
情報ありがとうございます。日東紡の第3工場がなかなかイメージできずにいました。・パラマウント硝子会社の北に着弾の情報も見かけましたので、これらを結びつけても大丈夫という自信がつきました。
 それにしても、郡山の紡績工場の変化は大きかったんですね。
by shingen1948 | 2010-09-25 05:08 | ◎ 福島と戦争 | Comments(2)