「福島と戦争」~模擬原爆(パンプキン)投下⑤
2010年 09月 24日
その中から、7月29日の空襲の情報を抜き出し整理すれば、模擬原爆(パンプキン)を投下された側の状況が見えてくるはずだと思う。
この照らし合わせとかかわる郡山のイメージにいくつか勘違いがあって、そのイメージを修正していた。その事を先に確認しておく。
その一つが、「操車場郡山」だ。
この操車場は、ビッグパレット近くの郡山貨物ターミナル駅だと勝手に思い込んでいた。それでも、一応確認してみると、「郡山操車場として開設され、東洋一と言 われた規模を有していた。それが独立して、郡山貨物ターミナル駅になった」とある。その後に創業にふれて、「その創業は昭和40年(1965)」とある。確認しているのは昭和20年時点だ。ここではないということだ。
多分、この時の操車場は郡山駅付近にあったのではないかと思う。照らし合わせをしている中で感じてきたことは、市民感覚では駅が襲撃されたという事と重なるということだ。
その7月29日の任務№11の郡山の模擬原爆(パンプキン)投下の読み取りにも、勘違いがあった。これも、照らし合わせをしている中で気がついたことだ。
攻撃目標は、郡山軽工場、中島飛行機発動機工場、郡山鉄道操車場だ。
先に整理したように、郡山軽工場は、今のところ具体名は推定だが、日東紡の第3工場(市の中心から西におおよそ1500mの地点にあった福島製作所の1/5の大きさの工場)、郡山鉄道操車場は、恐らく郡山駅ということでいいだろうと思う。
ここまではいいのだが、その間に挟まれた「中島飛行機発動機工場」について勘違いしていた。
中島飛行機発動機工場も、郡山と勝手に思ってしまっていたのだ。しかし、最終報告書の爆撃データの項目は次のようで、よく見ると違う場所だと気がついた。
第一目標の郡山軽工場「北緯37°24′―東経140°24′」と第二目標の中島飛行機発動機工場「北緯35°41′―東経139°35′」と臨機目標郡山操作場「北緯37°24′―東経140°24′」に、目視により投下。
中島飛行機発動機工場は第二目標で、北緯35°41′―東経139°35′ということで、東京の工場だ。
そういう目で、敵の対空砲火の項をみると、「中島飛行機を攻撃した7297号機は、投弾後30秒から60秒たって東京で対空砲火を受けた」となっている。
これ等の勘違いを取り除いて、7月29日の任務№11の郡山だけの模擬原爆(パンプキン)投下についてだけ整理する。
模擬原爆(パンプキン)は、第一目標の郡山軽工場「北緯37°24′―東経140°24′」と臨機目標郡山操作場「北緯37°24′―東経140°24′」に、目視により投下される。
この爆撃について、攻撃したアメリカ側の評価は、任務成果は優秀。
爆撃を受けた側にとってはたまったものではないが、郡山軽工場と郡山操作場は戦果を挙げたとみたようだ。
この時の対空砲火についても記述される。「郡山軽工場に投下した機が、郡山から機の下方1万フィートに軽い砲火を受け、貧弱」とのこと。
「矢野目の歴史と伝承(久間木忠雄著)」は、自主出版のようですので、多分販売を意図してはなさそうです。
ただ、確認したのは福島県立図書館です。ここは、他の図書館と提携していることが多いので、都内の図書館経由で借りることができる可能性が高いと思います。
坂東墓地は、主として福地帯刀とかかわる北矢野目城周辺の方々の墓地のようです。著者の久間木氏も、その墓地の久間木氏とかかわりのある方らしいと思われます。
地域資料のコーナーです。
検索結果は、以下のページに開きました。
http://www.library.fks.ed.jp/licsxp-opac/WOpacTifSchCmpdExecAction.do?tifschcmpd=1