地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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「福島と戦争」⑪~模擬原爆(パンプキン)投下

 福島の模擬原爆投下予定地を整理しておく。
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 ○ 福島製作所
 当時、軍需工場としては、戦車キャタピラ等を製造していたという。「福島市史」の中では、兵器(火砲)としている。民需生産としては、鉄道車両部品としている。
 付近は工場地帯で、東北本線から奥羽線が分岐するそのすぐ南側の地点。
 この工場の北側には、福島操作場があった。汗・エネルギッシュに働くといったテーマの絵画や写真の素材としてぴったりの場所だったが、現在はない。
 福島製作所は現在も同じ場所にあるが、航空写真にプロットされたものをみると、この工場の道沿いあたりには、女子医専校舎があったようだ。これは医師不足を解消するため、昭和18年に作られたとの解説がつく。

 歴史に「もしも」というのは禁句らしいが、素人はどうしても「もしも」と考えてしまう。
 導入段階では、通常の9倍の重さの爆弾であることを考えれば、一機のエンジントラブルは、起こりえるだろう。「もしも」と付けてみたいのは、もう一機の爆弾投下についてだ。
 もしも、この日に福島が晴れていたら、模擬原爆投下は、目視で行われたはず。そうすれば、8時半ごろ福島製作所近くには投下されていただろうと思われるということだ。
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 ○ 品川製作所
 航空写真では現在は盲学校のこの地点にプロットされる。当時、軍需工場としては、飛行機の精密機器を製造していたという。「福島市史」では、航空部品とし、疎開してきた工場としている。
 付近は、平和時なら文教地域だろうか。向かいは現福島高校、旧福島中学校だ。当時は、信夫山地下工場掘削作業員の飯場の一つ。その北西に、現美術館、旧福島経専、後福大経済学部だ。当時は、信夫山地下工場本部があった。当然、信夫山には、 信夫山地下工場山根第一工場、信夫山地下工場山根第二工場、信夫山地下工場金龍工場があった。この地点の南には、福島第四国民学校。

 ここでの「もしも」というのは、もしも福島への模擬原爆投下が、カリキュラムの終末に近い段階に計画されていたらどうなったかということだ。
 二機のB29がトラブルなく飛んできただろうということだ。そして、躊躇することなく、8時30分頃、4.5tの模擬原爆を見事に福島製作所と品川製作所の2か所の工場近くに命中させたのではないだろうか。
 模擬原爆投下は、「人類初の原爆投下を成功させるための投下訓練と、爆発後の放射線から逃げるための急旋回(急転、退避)の訓練」+「充分な殺傷」を目的としていたと思われる。予定通りに事が進めば、福島市街地の西端に2発の4.5tの爆弾が投下され、渡利の被害状況から推測すると、その被害は半径2㎞に及んだはずだ。
 道義的な名目で目標を軍事工場に置きながら、充分な殺傷も確実に実行できたはず。
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by shingen1948 | 2010-09-07 05:14 | ◎ 福島と戦争 | Comments(0)