地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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「福島と戦争」⑪~模擬原爆(パンプキン)投下

 ちょっとはみ出したことによって見えてきたのは、「意欲を持って原爆投下ができるパイロットを養成するカリキュラム」だ。なかなかそういう風に言いきれなかったのは、勝手な想像だという思いがあったからだ。
 家人と話していたら、数年前にNHK「その時歴史は動いた」でこの模擬原爆について放送されていたのをみたという。話を聞いたら、自分の感覚が、それほど大きくずれてはいないようだということが分かる。読み取り違いもあるかも知れないが、聞いた話と思ったことを合わせてみる。

 重すぎる模擬原発は、効率が悪かったらしいが、その効率というのは、殺した人数などとかかった費用の比で計算するらしい。
 この模擬原爆での死亡は約420人、負傷者が約1200人。これとかかる費用の比を計算すると、効率が悪かったという事のようだ。かかる経費は一定だろうから、もっと多くの被害を計算していたということのようだ。
 多分、大義の為に目標を軍事工場などに設定はしているが、本音は殺傷能力の発揮ということだ。それは、カリキュラムの上からも重要な事のようなのだ。パイロットは、この戦禍によって少しずつ意識が高揚され、モチベーションが上がっていくというふうに設計されているように思う。
 日本人の持つ学力観では、このカリキュラムにおける育成能力は技能と知識しか見えない。然し、育成する能力の中核をなすのは「意欲を持って原爆投下ができるパイロットの意識」のようだ。
 カリキュラム上からも、もっと多くの市民を殺傷することによって、これが育成されていくことを想定していたと思うのだ。

 普通の良心ある人間から、上昇する数値を見せていくうちに、感性的なことがそぎ落とされ、やがてより殺傷することに喜びを見出す人間に育っていく。そして、このことが日常であり、当たり前の感覚になっていくということが、戦争の恐ろしさの一つではないのだろうか。
 渡利への模擬原爆投下は、訓練という教育を通してそういう人間に改変していくカリキュラムの導入である課題把握の段階の出来事だったと思われる。

 渡利の被害と共に、4.5tの爆弾だったこと、目標が福島製作所と品川製作所だったということを整理しておくことが大切なのだと、勝手に思う。
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by shingen1948 | 2010-09-06 05:13 | ◎ 福島と戦争 | Comments(0)