地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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福島と戦争」⑧~模擬原爆(パンプキン)投下

 今回の展覧会では、瑞竜寺に保存されている模擬原爆の爆弾の破片も展示されている。
 瑞竜寺の散策時に、原爆投下の練習のための『模擬原爆』が投下された話は聞いていた。
 昭和20年(1945)7.20朝投下され、1名が死亡し、農家2軒が火災に遭ったという。また、破片が村中に飛び散り、村では裸足での耕作が不可能になったとも聞いていた。
 そして、その爆弾の破片を寺が保存していること、更には、この渡利に投下された爆弾を素材に戦争を考える劇を上演しているということもニュースで知っていた。
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 その破片の実物が展示されたのだ。見た目にはそれ程の重量感は無い。しかし、実際にはかなりの重さだ。長さ約50㎝、幅約20㎝だが、これで重さは15㎏あるという。

 今回の展示会まで、「模擬爆弾」の<模擬>という言葉のイメージから、勝手に軽く見ていたという事が分かった。<模擬>というのは、原爆に対して模擬なのであって、原爆と同じ重さに調整されている通常の爆弾だ。当然、投下地点ではかなりの被害が出ているとのことだ。
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 渡利の模擬爆弾は、8月9日に長崎に落とされたプルとニューム型の原爆「ファットマン」を模して、ほぼ同じ形で、長さ3.5m、直径1.5m、重さ4.5tの爆弾とのことだ。ここに通常のTNT火薬1万ポンド(約4.5t)が充填されていたとのことだ。ずんぐり型の形状から、米軍内部では「パンプキン爆弾」と呼ばれていたという。
 展示の模型の「パンプキン爆弾」の色が、黄だいだいだが、実際にそうだったようで、別の資料を確認すると、この色も「パンプキン爆弾」と呼ばれた理由の一つになっているらしい。

 渡利地区への投下は、昭和20年(1945)7月20日午前8時34分で、ここでは当時14歳だった1人の少年が命を落としている。その状況は、投下地点から約30m離れた自宅近くの田んぼで草とりをしていたところを、爆風に襲われたということだ。これに、農家2軒が焼けた事、破片が村中に飛び散ったことで、裸足で耕作できなくなったという情報と結びつく。
 更に、今回の資料説明から被害を拾う。
 爆弾の落ちた地点の穴は約90mで、暫くは沼になっていたため、その辺一帯(現在のわたり病院○付近)を「沼之町」と呼ぶようになったとある。
 また、北に200mほど離れた学校のガラスも全部吹っ飛んだとあるのは、現在の渡利公民館だろうか。爆音は福島まで轟き、福島駅近くの事務所のガラスも割れ、被害は半径2㎞に及んだなどの状況が説明される。

 この爆弾の破片が瑞竜寺に残されたのは、亡くなった少年の父親が拾って、「息子のかたき」と寺に預けたものとのことだ。
 まだ実際の記事は確認していないが、新聞報道は、報道管制の元で「被害極めて軽微なり」とのことだったという。
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by shingen1948 | 2010-09-02 05:31 | ◎ 福島と戦争 | Comments(0)