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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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安江繁家⑰

 東禅寺沿革の上杉氏時代あたりの部分を再掲する。
 慶長年間、上杉家臣福島郡代奉行跡部外記信州より移って中興
 元和年中、4世善翁曇積和尚が安楽寺(大笹生)と常栄寺(大森)を創建
 5世和尚が、東泉寺(土船)と鳳台寺(大笹生)伝正寺(南沢又)を建立。

 この中興にかかわるとされる「跡部外記氏」について、その確からしさとかかわるのは、霊牌の存在ということらしい。
 地区の資料で、傑道良勝居士慶長19年3月跡部員政、大椿栄大姉慶長16年4月同内室が紹介される。そして、この方を、「甲州大灼助一族、慶長13年福島代奉行兼帯扶500石、初め伊達森山城から信夫飯坂村に住」と説明される。
 「福島市史」では、この方が上杉時代の二人奉行の説明に登場している。安江氏と別系のつながりになる「平林氏―跡部氏―宮嶋氏―古河氏」という系の方だ。
 安江氏の系は、平林氏に対応するのが河田氏のようで、その次に安江氏となる。この安江氏が、(跡部氏―宮嶋氏―古河氏)の時代と対応するようだ。
 この他に、この方の名をお見かけしたのは、仙道筋所々、道橋普請奉行がどうのという天正18年の普請にかかわる直江兼続書状の中だ。関 右京亮・石栗将監・舟橋名兵衛・安江五郎左衛門・小田切備前守・河田平左衛門の各氏と共に跡部外記氏の名が連ねられていたことだ。
 東禅寺の中興とされる上杉家臣福島郡代奉行跡部外記氏の手持ちの情報はこんなところだ。
 地区の資料では、俗名まで記されている。正徳3年の火災で金堂宇等が消滅し、多くの事柄にかかわる品々も消失したようだが、この霊牌は地区の資料をまとめる際に確認されているような気がする。

 末寺創建にかかわって、masa氏から「鳳台寺」と「常栄寺」について、次のような確からしさにかかわる情報を頂いている。
○ 鳳台寺について、「大笹生史」に「大笹生地区に鳳台寺があった。鳳台寺の檀家は東禅寺に本家帰りした。字鳳台寺として字名となっている。」とされている。
 福島県歴史資料館研究紀要第17号「福島県における明治初期の社寺整理と廃合移転社寺」では、「鳳台寺は「無檀無住」ということで廃寺となった。」とされている。
○ 常栄寺について、福島県史第21巻文化2に、「常栄寺は住職が神職なったが檀家は一戸も神道とならなかったことから、全財産を売払い、還俗した。」とされている。

by shingen1948 | 2010-08-08 05:08 | ◎ 信夫の里(天地人の時) | Comments(0)