地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン

飯坂古道⑤~米沢街道との接点付近②「鷲神社」

 無意識で不連続な見方をしてしまっていることがある。それは、行政的な境目だったり、散策してきた興味の境目だったりする。最近はそのことに気をつけて、つなぎを少し重ねて整理するように心がけている。
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 「李平の石畳改修記念文が刻まれた安政6年の碑」は、山神の碑らしい。左側に写り込んでいた碑のようなので後日確認したい。
 その鷲神社前の石塔群から続く参道は、線路で分断されていて、通行止めになっている。


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 この神社に立ち寄るには、米沢街道の踏切を横断し、集会所の脇を通って御邪魔することになる。


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 参道を少し下って、神社を見上げてみる。
もし参道を進んできたとすると、こんな風景になる。
 これが、桜の季節なら、「福島市景観100選」の「89.鷲(わし)神社と古木桜」の風景になる。

 町庭坂字宮下にある神社で日本武尊(やまとたけるのみこと)を祀る。文永5年(1268年)今の地に遷宮したといわれる。明治3年鷲(わし)神社に改称し庭坂地区の総鎮守となった。趣のある建物と古木の桜が歴史を感じさせる。

 この神社整備の背景に、この地に三島県令の官舎等があったことと関わらないのかなと勝手に思う。
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 「文永5年(1268年)今の地に遷宮したといわれる」と説明されることは、案内板の「出羽の国(山形県)に通じる大通り(米沢街道)が開通されると、参拝人の便を図り再び現在地に遷し奉祀された」との解説と重なる。
 鷲大明神から鷲神社への改称は、案内板では明治2年(1869)神仏分離令によるとする。そして、明治4年(1871)に郷社へ。

 鷲神社は、一般的に大鳥神社等とともに、ヤマトタケルの白鳥伝説とかかわり酉の市とかかわることが多いとのこと。
 案内板には、鷲が大蛇をつまんで空中に飛び上がり殺して住民の難を救ったとか、大鷲が、神社境内の森にとどまったという「信達一統誌」にあるというこの神社の伝説を紹介する。
 酉の市はなさそうだが、「人形祭」というのがあるようで、どんな祭りかちょっと気になる。
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by shingen1948 | 2010-07-10 05:38 | ◎ 飯坂街道・古道 | Comments(0)