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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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信夫三山28 ~ 念仏橋

 念仏橋の碑という板碑が、信夫山の薬王寺の道端にある。
 その解説に、念仏橋の由来についての解説がある。
 それによると、この板碑が信夫山の裏の泉川の橋にかけられていて、村が春秋2回、この橋の上で念仏をあげてきたので「念仏橋」というという事だった。
信夫三山28 ~ 念仏橋_a0087378_5582758.jpg
 「信夫山」の地図を確認すると、旧道と新道の重なり具合からは、県民葬祭の後ろ辺りのようにも想像できるが、清水公民館前の地図からは、ぼたもち石の近くの道筋のように思われる。


信夫三山28 ~ 念仏橋_a0087378_5592340.jpg
 清水公民館前の地図をもとに、この位置を探ってみる。
 この辺りは、道路と水路が改修されていて、昔の道筋は分かりにくい。
 ミラーがあるのは、新旧の信夫山一周道が交わるところで、ここに大石がある。これが、地図で言うぼたもち石だと想像する。
 泉川も道を広げるために蓋がされていているが、ここから顔を出して、松川に向かう。

 この板碑に、祈りが込められていたことは知られていたらしいことは、案内板から読み取れている。
 ここを通るときには、通行人は念仏を唱えたというし、春と秋の彼岸には村人全員で、ここで念仏供養をしたということだ。
 この板碑に込められた願いは、文大日如来を信仰した息子が、母親のために祈ったものというものだったらしい。
 昭和6年(1931)に、村人たちはこの板碑を、信夫山の薬王寺道ばたに戻している。元々は、甘粕の碑の近くにあったという。
 「信夫山」では、この橋にした事情を「故あって」とする。
 思い出すのは、大塚山の山頂に横たわる古墳の石棺材だ。これも、橋として使用された経緯を持つ。そのことについては、先に「大塚山の棺桶の蓋」として整理した。
by shingen1948 | 2010-05-03 06:04 | ◎ 山歩きと温泉 | Comments(0)