福島の建物⑥―その3
2010年 04月 22日
建物としては、先にも整理したが、この建物は、昭和10年(193 5)チェコ人のスバーガーが設計し、建築は横浜の関工務店で完成したということだ。今回は、その内部をみるチャンスを与えられたと思っている。
礼拝堂では、椅子や床まで細かな気配りある工作が目に着く。
ここの主な建材は、カナダから搬入され、施設としては、暖房・水洗トイレなども完備されたという事のようだ。この事は、建設された当時として、先進的だったという事のようだ。その美しさと良心的な工事については、今日に至っても建築専門家達の賛嘆の的となっているという。
建築には、地元の大工を1日最大で13 0人雇用されたという。今は「大工と左官の技術がなくなり、同じ物はもう造れない」という建築家の評価とか。
この洋風建築物は、建設された当時、この洋風のこの建築はたちまち市内の名所となったという。また、周囲一面が田んぼだったこの町を花園町というのは、このノートルダム修道院の美しい花園によっているとも言われているという情報も。
この教会では、1676年に施設内に、「雛菊幼稚園」と「霞内医院」が設けられたという。建築物としては、それは北側に増設された部分になるようだ。
この会の設立目的は、教育を通して神と隣人への奉仕というものらしい。その目的とややずれているのは、日本の制限と目的のはざまを探ったということらしい。
教育を通してということと、幼稚園や看護施設なら許可されるという事情との妥協線を探ったとのことだ。