信夫三山⑯ ~ 羽山⑫
2010年 04月 08日
その両抗の間の下部に、敷居か土台らしいものがあって、使用時には、そこに仕切り板があったらしいことを推定しているようだ。
その山根第二工場はこの山の地下あたりだろうか。坑道が、極楽寺たりから25m間隔に3本南北に走っていて、第一工場に比べ大規模だったということだ。
坑道の大きさは、約230mの長さ、幅5m、高さ3m。そこには、湧水を流す溝跡が走っていたという。
その坑道に直角に、変則間隔で坑道が10本走っていて、そこに旋盤機械が設置されていたらしいとのことだ。第二工場には、横木が渡されているところもあって、一部に電灯用ガイシもみられたとのことだ。
遺物としては、アメリカ製機械のプレートネーム版、アルコールランプ、木の支柱、犬釘、ボルト片という特徴的なもののほか、後から持ち込まれたらしいものが散見されたということだ。「ここに機械入る」等の表示も残っていたとのこと。
この南側の抗口は、極楽寺裏のコンクリートで塞がれているという。北側の抗口は、先の射撃練習場辺りらしい。こちらは、自然崩落等でその確認は難しい状況だったとのことだ。坑内調査確認では、滞水と落盤があって先に進めない状況だったとのこと。
信夫山地下工場を意識すれば、電気供給が気になるところだ。この山の北側には、清水変電所があり、JR関係の変電所があり、その供給を受けて更に小さな変電設備がある。
無機質な変電所を通した信夫山が見えるこの景色も、もう一つの風景とも思えてくる。(これは、JRの変電所)