再び「西原廃寺」⑤~太子堂
2010年 03月 14日
その時に、坊とのかかわりについて、やや慎重に取り扱った。ところが、「福島県の地名」を確認したら、すでに認知されていることが分かった。
西原廃寺付近には、山坊・白山坊・太子坊・上久坊・下久坊・久礼津坊などの地名が残る。
この辺りは北原村だが、概括的には明治時代に湯野村と合併し、「伊達郡湯野村大字北原」と字名に村名が残り、その下に先の地名が小字として残っていたという経緯だ。
そこから、湯野は飯坂と合併し、現在は「福島市飯坂町湯野」となる。ここに元の字が残ったり、小字が残ったりしているという状況のようだ。
ここは「白山」というふうに、散歩の中では、現在の字名からおおよその坊の地名の位置が想像できそうだ。
なお、湯野も村名が湯村だったり湯野村だったりした経緯があるらしい。
その中の太子坊にある太子堂が、ここのようだ。まだ確認していないが、「ゆの村」では、ここに応安の碑があると紹介する。高さ1.6m、南無阿弥陀仏と刻まれ、左下に応安2年(1369)があるという。
南北朝時代の北朝の年代ということらしい。
何を意味するのかはよく分からないが、楽しく古の想像に浸ることはできそうだ。