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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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福島の建築 23

 ここは、中学校の頃、陸上競技へ出場するのに初めて泊まったという個人的な思いがある旅館だ。気になっていたのは、その思い出だ。
 この建物の歴史的な価値を教えてくれたのは、旅館の前の案内板だ。
旅館竹屋
福島の建築 23_a0087378_5293685.jpg
 明治42年創建
 日本の蚕繭業が栄えた大正時代、福島は生糸商人の取引市場として賑わいをみせた。
 当時の面影を残し、和風建設の贅と粋を湛えた「座敷蔵」(国登録有形文化財)は、今も客室として使われている。

 別の案内板に、詳しい説明がある。
福島の建築 23_a0087378_5312859.jpg
 それによると、国登録有形文化財になっているのは、南土蔵と西土蔵ということだ。平成12年9月26日登録。
 その土蔵2棟は、明治42年(1909)に建造された蚕繭施設で、大正10年(1921)に南と西の土蔵をはじめ数棟を残して整備された。その後も、この二つの蔵は、創建当時のまま推移したとのこと。
 内部は、昭和22年(1947)「竹屋旅館」として開業されたが、創建当時の和風建築の良さを残し、大正ロマンとうたわれた洋風の造作をして客室にしていると説明する。


福島の建築 23_a0087378_534213.jpg
 曖昧だが何かの情報から、この竹屋旅館の前に、ここに西屋旅館があったようなイメージを持っている。気になるのは、「客室が大正ロマン」で、開業が昭和22年だ。大正ロマンの客室を引き継いだとも考えられそうだと思えるからだ。
 いずれにしても、日本の蚕繭業が栄えた大正時代、福島は生糸商人の取引市場として賑わいをみせた。その当時の面影を残した建築物が、今も客室として使われているということの価値ということのようだ。

 案内板では、その賑わいを、
 「ここ大町の並木通りは、かつては弁天通りと呼ばれ、明治大正時代、この周辺は、蚕糸業福島の中心地として賑わい全国より多くの生糸業者、商人が取引市場として利用されていました。」と紹介する。
by shingen1948 | 2010-02-20 05:39 | ◎ 福島の建築 | Comments(0)